ブラインドサッカーの概要を紹介します

ブラインドサッカーの起源

学校の余暇活動でのシンプルな遊びとして、イギリスで生まれたサッカーは、20世紀を通じて、次第に多くの人々に受け入れられ、世界文化と言うべきものに発展しました。
ここまでの発展の理由を一言で説明するのは難しいですが、このスポーツが、プレーヤーと観客の両方にもたらす興奮に目を向ければ、おのずから理解できるのではないでしょうか。

視覚障害を持つアスリートたちも、これに無関心ではいませんでした。
サッカーは視覚障害スポーツにも深く根をおろしていったのです。
1920年代の初期において、サッカーが行われた環境といえば、学校の休み時間の運動場でしたが、視覚障害を持つアスリートたちにとっては、何と言ってもその手軽さが魅力的なスポーツとして映りました。
簡単に言えば、ボールのサイズや素材などにはおかまいなく、ゴールに入れば得点になるというただ一点で、彼らは楽しんでいたのです。

その後ブラインドサッカーは、フットサル用の小さなコートで行われるように改良されました。
なぜなら、通常のサッカーグラウンドでは広すぎて音が届かないため、プレーも誘導も困難になり、試合のリズムが保てなくなるからです。
これではゲームの娯楽性と安全性を保つことができません。
やがて、ブラインドサッカーは原則として屋内でプレーされることが決められました。
さらに壁で囲まれたコートを用いることで、サイドラインの外にボールが飛び出ないようにし、連続したプレーを行えるようにすること、
晴眼者のゴールキーパーをおき、声による誘導及び安全性の確保を行うこと、
また、相手ゴールの後ろで味方選手のシュートを声で誘導する、コーラーと呼ばれる者をおくことなどが決められました。

ブラインドサッカーの発展

現在のIBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)の定めるルールの原型は、1980年頃スペインで始まり、その後、ヨーロッパや南米などに広がりました。
アジアでは、サッカーが国民的スポーツとして支持されていることから、瞬く間に全国的に広がり、現在は各地に専用コートが作られています。

1998年にブラジルで第1回、続いて2000年にスペインで第2回世界大会が開催され、現在は30カ国以上でこの競技が実施されています。
日本では1990年頃、県立千葉盲学校で「ペガサス」という名前のチームが初めて結成され、独自のルールのもと活動が行なわれていましたが、児童・生徒数の減少などで2000年には活動が停止されました。

しかし、2001年に日本から7名の視察団が韓国を訪れ、情報収集と交流を行い、合わせて日韓の視覚障害者によるサッカー交流を約束しました。
2001年11月には大阪でブラインドサッカー体験講習会が開催され、翌2002年5月にソウル市内で初の日韓交流試合が開催されました。
そして2002年8月、岐阜県高山市と兵庫県神戸市において、日本・韓国・ベトナム3カ国参加の交流試合が開催され、神戸大会では日本が優勝しています。

競技の概要

ブラインドサッカーはIBSAによって国際ルールが定められ、視覚障害者が健常者に近いサッカーを行なうことが可能になると同時に、安全性を考慮したものとなっています。

プレーヤーはフットサルと同じ5人制ですが、キーパー以外のフィールドプレーヤーはアイパッチとアイマスクで目隠しをし、視力上の公平を保ちます。キーパーには弱視者または晴眼者を置きます。
ボールにはフットサルで用いるものに鉛の鈴を入れ、プレーヤーはこのボールが転がる時の音を頼りにボールを追います。
ピッチの大きさは、サイド40メートル、エンド20メートルの長方形を基本とし、サイドラインには高さ120センチのウレタン製の壁を設置します。ボールがこのサイドラインの壁を越えるか、エンドラインを割らない限り、プレーは継続されるので、スムーズに試合を進めることができるようになっています。
サイドライン上にはそれぞれのチームの監督が、相手ゴールの裏にはコーラーと呼ばれるコーチが位置し、フィールドプレーヤーを声で誘導します。
プレーヤーがボールをキープしている選手に近づくときには、チームで決めた特定の掛け声を掛けなければいけないことが決められています。英語では、「マイン」、韓国チームは「カンダ(行くぞ、の意味)」、現在の日本代表は「まいど」を使用しています。これは日本での発祥が関西地区であるためです。

視覚障害者スポーツとサッカー

ブラインドサッカーの特徴は、プレーヤー自身が判断して自由に動き回るという点にあります。これはスポーツとしてはごく当たり前のように思われますが、卓球やフロアバレーなど、その他の視覚障害者の球技は、プレーヤーの位置が固定されていることが多く、広い空間を走り回る競技はブラインドサッカーだけです。
そのため、選手には方向と空間の感覚、音の感度などが要求され、視覚障害者スポーツでは難しい競技とされています。また、接触プレーへの恐怖感の克服も選手にとっての大きな課題となります。

しかし、この競技の一番の魅力は、晴眼者と視覚障害者がそれぞれの役割でプレーすることで、障害の有無を越えたコミュニケーションをはかることができるという点にあります。両者がプレーを通じて、ともに勝利の喜びと敗北の悔しさを分かち合う、素晴らしいスポーツであると言えます。